10/30/2013

若年性乳がんと妊娠

前回の術後1年健診で、CTを見送ったのには訳がある。

妊娠したのです。
乳がんになってから、妊娠が難しくなる可能性もあって、
治療前に、慌てて婦人科で受精卵凍結の説明を受けたりした。

ありがたいことに、抗がん剤の投与は無くなり、
ホルモン治療も子供を希望している意思を尊重してもらって、無治療でOKが出た。

放射線の心配もあるから、
当初は術後1年は避妊するよう、こっちのドクターには言われてたけど、
(日本の先生はすぐ妊娠しても問題無いと言っていた)
結果、放射線治療後半年が経つ頃、「そろそろいいかもね」とOKが出た。

そして、妊娠することができました。
そろそろ4ヶ月になるところ。

若年性乳がん患者の場合、
妊娠出産の機会と向き合わないといけない場合が多いと思う。
抗がん剤の影響で生理が止まってしまったり、回復までに時間を要したり、
ホルモン治療の5年間が果てしなく長く感じるし、やっぱり子供が欲しいから、
再発の可能性と天秤にかけてでも途中で投与を中止したり。

私は両方の治療を受けなかったから、
想像上でしかその辛さを計り知るしかない。
でも、私自身もホルモン治療を薦められ、
5年間は子供を諦めるかもしれなかったわけで、
自分なりに勉強して、再発の危険性と天秤にかけて出した答えが無治療だったから、
同世代の乳がん患者の気持ちは理解できる。

ただ私のケース(温存と放射線のみ)では、こうして今妊娠することができました。
私は放射線治療終了後、半年間は避妊をし、
先生の了解を得て、その翌月に妊娠しました。
私と類似した治療歴やリスクで、妊娠を希望している方がいるかもしれないけど、
妊娠してよいかどうかの最終判断は、
必ず再発リスクを考慮して主治医と相談してください。

妊娠中も、勿論定期健診は続行される。
ホルモン受容体が強陽性なので、妊娠による影響はゼロではないそうだから、
余計に慎重に、とのこと。

妊婦健診は、乳腺外科と同じ総合病院内のドクターに診てもらっている。
同じ病院内なので、電子カルテを共有出来て、ドクター同士も知り合いなのでそこにした。

産婦人科医は、中華系の男性医師。見るからに賢そうなおじさん。
これまでに2回受診したけど、
乳がんの既往については既に把握されていたし、
少々早口で聞き逃しそうになるけど、説明も簡潔で分かりやすい。

前回の一時帰国時に初診を受けた、日本の産婦人科医より断然良い。
小声で何を言ってるかよく分からなかったし、
聞かないと何も教えてくれないし、
聞かれた事と言えば、「ご主人の職業は何?」であった。
「会社員です」と答えたら、「職種は?」とたたみかける。
素直に答えたら、「それはなかなかいいですね」だと。

帰って母親に伝えたら、
「それが妊娠と何の関係があるんですか」って言ってやればよかったのに、と。
本当にそうだ。
変な医者で印象がかなり悪い。

10/10/2013

祖母とのお別れ

話は前後するけれど、
6月に、20年生きた愛猫と別れたばかりだというのに、
その約2ヵ月後の8月末、祖母とお別れをすることになった。

猫ごときで、と言われようが関係なく、
6月に一時帰国して愛猫とお別れをしたとき、
祖母はまだ元気な姿を見せてくれていた。
愛猫を撫でて「ありがとうね」って言っていた。

心臓の機能が落ちていて、入退院を繰り返していたけど、
減塩の食生活に気をつけて、
無理せず暮らしていれば、まだまだ元気だと思ってた。
祖母は一人暮らしだったので、近くに住む叔父叔母がよく様子を見てくれたり、
両親も時々顔を見せに行ったり、
私も帰国する度に必ず遊びに行っては、おばあちゃんと他愛のない話をした。

好き嫌いが激しくて、肉食で、病院の食事は殆ど食べず、
長年、嫁姑問題で超犬猿の仲だった母親はお見舞いの度に辟易していた。
お互い歳を取って、だんだんと丸くなってはきてたけど、
でも、本当に2人は仲が悪かったなあ。

夜中に電話があって、翌日の乗り継ぎ便で急遽帰国。
夜中の電話ってのは心臓に悪い。
お通夜にも間に合わず、もちろん生きた顔には会えなかったけど、
最期にお別れが出来た。
綺麗にお化粧されて素敵な着物姿だった。

遠くに住んでると、こういう時が一番堪える。
精神的にも体力的にも経済的にも時間も。
加えて飛行機嫌いは、更に神経が削られる。
マレーシアはまだ近いけどそう思うのに、
欧米や南米、アフリカなどに住んでる人はもっともっと堪えるだろうな。

お葬式は勿論悲しいのだけど、
87歳という長寿だったから、なんとなく穏やかに事が進んだ。
「もう十分。早く死にたい。早くお父さんのところに行きたい」
晩年は、事ある毎によくそう言ってたなあ。

もっと色々教えてもらいたかったな。
今頃、庭の柿の木に実が生っているんだろうな。
干し柿の作り方教えてもらってたら良かったな。

おばあちゃん、長い間お疲れ様でした。
今まで本当にどうもありがとう。
無事におじいちゃんに会えたかなあ。

10/03/2013

術後1年健診

しばらく放置プレイだったブログ。
我ながら続かないなぁ…。

術後1年健診に行ってきた。
昨年11月末が手術だったから、正確には10ヵ月後くらいなんだけど。
どんどん前倒しになってる気がするけど。
まあいいけど。

特に何も指示は無かったんだけど、
血液検査だし、朝食を摂っていいのか空腹を抱えて迷った挙句、
絶食で臨んでみた。

やはり、それで正解。
こういう事、ちゃんと事前に伝えといてくんないかな。
じゃないと、絶対食べていく人いるでしょ。
ほんとこういうのってマレーシアらしいなー。
私が聞き逃したのかなー。
いいや、絶対聞いてないし。

検査内容は、血液検査と腹部超音波、
その結果を持って、今度は主治医の下で胸部の触診と超音波。
CTは今回は見送り。

血液検査の後に、
あまりにも空腹だったもんだから、
看護士に「これから何か食べて来てもいい」って聞いたら、
「OK~」と言われる。

でも、先に腹部超音波を済ませようかと思い直して、指定の場所に行ったら、
そこの看護士に「絶食してますよね?」って確認された。

おいおいおいおい。

「ブラダーはフルですか?まだなら水をたくさん飲んで、トイレには行かないでください」
と言われて、ブラダー?????となっていると、
「あなたはコップ3杯ね」と3本の指を示される。

なるほど、膀胱(Bladder)って意味でした。
どうやら膀胱が満タンの状態じゃないと、臓器がうまいことエコーに写らないらしい。
待合室で、大人が10人くらい皆ゴクゴク水を飲んでて、
「満タンになりました?」
「まだです」「もう少しです」「あとコップ1杯」という会話が可笑しかった。

無事にエコーも終わり、トイレを済ませ、
今度こそ何か食べようかと思ったけど、やっぱり思い直して全て終わってからにする。

相変わらず綺麗な主治医と軽く近況報告をして、
結果は何も問題ないとのこと
そして、胸部の触診とエコーも異常なし

どっと安堵が広がった。

次回健診は年明け1月の予定。
どうやら、癌サバイバー1年生になれそう。

そろそろ、肉食を解禁しようかな。