一体どうなることかと、頭が真っ白になったのも、今思えばあっという間だった。
無事に手術も放射線も終了して、そしてまたここに戻ってきた。
ドクターは相変わらずな感じで、久しぶり、と笑顔で対面。
経過を話し、細胞の組織標本を返却し日本の医師からのレターを渡した。
日本の先生が「書くのに苦労したんだよーコレ」と言っていた英文レターは、
ものの数秒で読解され脇に置かれた。
ああ。
ちゃんと読んでくれたのかな。
ああ。
ちゃんと読んでくれたのかな。
妊娠を望むため、ホルモン治療はしたくない旨伝えると、
「それで問題ないと思う。ただ、妊娠は1年後ね」と言われた。
1年!?
理由は、体やホルモンバランスが全て快復するためと、
再発リスクが高い術後1年を避けるため、とのこと。
日本の医師や放射線医からは、特に影響は無いからと既に妊娠許可が下りていた。
むしろ、早めに妊娠出産を終えて、ホルモン治療に移ろうというニュアンスだったような。
日本の医師の意見を伝えると、少々驚き顔で、それでもそれがドクターの意見だそうだ。
日本の医師の意見を伝えると、少々驚き顔で、それでもそれがドクターの意見だそうだ。
さあて、どうするかなーと思いながら、触診と超音波検査。
術後の傷を見て、想定内だったのか何も言及されず。
傷の周囲が広く硬くなっているため、
触るとしこりのようにも感じる恐怖と、時折激しい痛みに襲われる恐怖を訴えると、
「当然」と言われ、傷が治る経過なのだと説明を受けた。
3ヵ月毎に超音波検査、1年後にマンモグラフィと全身のCT検査をするとのこと。
そこで問題なければ、妊娠して問題ないと念押しをされた。
医師の意見の相違で混乱する。
どっちに傾聴するかな。
間を取って、術後半年を目処ってことに自分で決めてしまってもいいだろうか。
触るとしこりのようにも感じる恐怖と、時折激しい痛みに襲われる恐怖を訴えると、
「当然」と言われ、傷が治る経過なのだと説明を受けた。
3ヵ月毎に超音波検査、1年後にマンモグラフィと全身のCT検査をするとのこと。
そこで問題なければ、妊娠して問題ないと念押しをされた。
医師の意見の相違で混乱する。
どっちに傾聴するかな。
間を取って、術後半年を目処ってことに自分で決めてしまってもいいだろうか。