11/27/2012

怒涛の一週間

結婚式が終わってホッとしたのも束の間。

義家族の観光案内と帰国見送り。
病院の診察、検査。婦人科の診察。
友人の結婚式で神戸行き。
術前の最後の温泉行き。

今月14日に帰国してから、ずっとバタバタしてる。
悲嘆に暮れる時間もなく、慌てて明日からの入院準備をやっと先程終えたところ。
この1週間を軽く整理してみる。

義家族はトータル6日間の滞在で、結婚式を含め日本を満喫してくれた模様。
毎日何かと行動してたから、寒さと疲れで後半体調崩しぎみだったのが申し訳なかった。
でも良い経験が出来たと喜んでくれ、今度は桜が見たいとのこと。
病気についても理解してくれており、まずは治療に専念するよう言ってくれている。
相方は帰国便を延長し、手術まで滞在してくれることに。
皆どうもありがとう。

病院では、敵の詳細が段々と明らかになってきた。
人生初のMRIは、軽視してたのが間違いだった。
私には結構恐怖で、出来ればもう二度とやりたくない。
防音のためにヘッドホンからクラシックが流れてたけど、
あんなの何の役にも立たない。音がうるさすぎる。
どうせなら、選曲できるようにして、ロックをお願いしたい。でも体が動きそうでやばいかな。
また、少し閉所恐怖症ぎみかもしれぬ、と悟った。

人生初のCTでは、思いもよらぬ事に、脳に異常が発見された。
脳の一部にぽっかり空洞化している箇所があり、まさしく「脳足りん」状態。
問題ないようだとのことだけど、念のため、入院中に脳外科も受診することに。
大いに驚かされたし、なんとも恐ろしい。
なんともありませんように。

婦人科は別の病院へ。
ガンの詳細と妊娠希望を伝え、受精卵凍結の相談に。
頭脳明晰でやり手な印象の担当女医は、一見冷たそうだったけど、割と好きかも。
無駄に甘い言葉なんかより、ズバッと回答してくれて分かり易く頼もしい。

乳腺外科の先生とも知り合いのようで、
足並みをそろえながらやっていこう、いつでも相談して、と言ってくれた。
また、抗がん剤治療をするのであれば、事前に必ず相談するようにとのこと。
抗がん剤治療以外であれば、急ぐ必要はないとのこと。
「精子だけなら今日でも凍結できるよ。2万円ね。まー、ご主人に問題なければの話だけど?」
いい先生でした。

一時はどうなるかと思ったし、急遽欠席させてもらおうとも考えた友人の結婚式。
でも、友人の晴れ姿見たさに、他のなつかしい友人たちと再会したさに、神戸行きを強行。
1日入院が早まっていたら出席は難しかったかもしれない。
初めて拝見した旦那様はとても優しそうで、友人は本当に幸せそうだった。
そして、なつかしい面々とのプチ同窓会。久々でも会えば変わらず会話が弾んだ。

大阪や神戸も10数年前に住んでいた頃とはすっかり変わっていて、
ちょっぴり寂しさを感じた。
時間が過ぎることで、人も場所も思い出も変化していく。

私たちは、時を刻んで生きている。
今は居ないあの人も、この人も、しっかりここに生きていた。
そして私もいつかは居なくなる。
生死を繰り返して、また新たな命が繋がっていく。
人生って何なんだろうね。
妄想は今日も続く。

明日から入院ということで、宿泊している暇はないけど相方と日帰り温泉を強行。
30年近く、私の一部だった左胸を見納めてもらった。
将来、乳房再建をする時が来るかもしれないけど、真の左胸とは本当にこれでお別れ。

帰国後からずっと気が張っていて、今こうしてひとりPCに向かっているけど、
なんだか急に泣けてきた。

この期に及んで、子供のように泣き喚いて、入院や手術から逃げ出したい気分。
やっぱり、本心は切りたくないんだよ。

11/22/2012

結婚式

朝から大雨の土曜日。
どうなることやらと思ったけど、午後から晴れて一安心。

双方近しい親族のみで、さっくり神前式をした。

白無垢の重いこと重いこと。まるで布団を着ているよう。
相方は、初めての紋付袴に着られぎみで、ちょうど時期である七五三のよう。

式前にちゃちゃっと手順を練習して、いざ本番。
全く緊張せず。余裕を持って臨めた。

式中、「巫女の舞」の儀なるものがあり、不謹慎にもひとり笑いそうになる。
大変貴重なものを拝見した。

お義母さんの留袖姿は、日本人にしか見えないと大好評。
恰幅が良いから、どっしり似合ってました。本人もご満悦のよう。

式後は、フレンチレストランで食事会。
カジュアルなフレンチと格式の高いフレンチ、どっちにしようか迷ったけど、
途中、居酒屋並みの盛り上がりとなり、
やはりカジュアルにしといて良かった、と胸を撫で下ろす。

レストランからサプライズでケーキを用意くださり、
予定してなかったケーキ入刀をすることに。
温かい雰囲気とおいしいお料理、親族のみで和気あいあいと楽しめた。

ドタバタで決まった結婚式と義家族の日本行き。
準備が面倒臭く、直前に病気が見つかって一時はキャンセルも考えたけど、
両家顔合わせも出来たし、義家族ともグッと距離が縮まった気がする。

喧嘩は程々に、末永く幸せになりますように。


神前式は粛々と進む。義家族に日本文化も紹介できて良かった


レストランからサプライズ とっても優しい味がしました



11/16/2012

地元で初診

地元の総合病院で初診。
年季の入った建物で、ちょっとテンション下がったけど仕方が無い。

マレーシアから持ってきたレターと組織標本を渡すと、
あまり待たされることもなく、すんなり呼ばれた。

先生も想像通り、経験豊かで優しそうな印象だけど、
相当数の患者を抱えてる先生にとっては、
私もそのうちのone of 患者s なわけで、まだ少し距離感がある。
でもそれは大きな問題とはならないと思うし、とりあえず信頼出来そうな印象。

まずは触診だけやった後に、
「リンパへの転移は無いね、しこりは思ったよりも小さいね。」と言われた。
理由なくホッとする。

目の前の先生に、余所の病院や先生の治療法について質問するのは、
だいぶ気を遣ったけど、遠慮してる場合じゃないので、
気になってた切らずに治療するピンポイント放射線へのご意見を聞いてみた。

「陽子線治療については、私もメンバーのひとりだけど、乳ガンにはまだ適応していない。
四次元ピンポイント放射線?それは知らない。どこ?
あるとしても、まだ確信もないよ。コレも多いし…。(と言いながら、眉を指で何度かなぞる)
乳ガンは(再発も転移もあり得るから)全身病だからね、切れるなら切った方が良いよ。」

眉をなぞるのは、「眉つば」って意味か?
まあ、切らないで治すという考えは、特に抵抗も無く、そこですんなり頭から消えた。
だんだん腹が据わってきた。

受精卵凍結は、事情を話すとガンの詳細を先に調べてくれることなった。
術後に放射線治療をすることになったとしても、子宮や卵巣には影響ないと言われた。
そして、たとえ抗ガン剤治療が必要という結果になったとしても、
妊娠出産を先に終えて、それから抗ガン剤を開始するというのもあるそう。
ガンに追われる前に、全て急がないといけないと思ってたから、これには驚き。
でも、これはあくまで、現段階の話であって、今後は分からないと思う。
ただ、保険として凍結していると、精神的に安心が得られるのは間違いない。
まずは敵の性格が分かってから。

その後は検査検査。
尿検査、血液検査、心電図、肺活量検査、胸部レントゲン、マンモグラフィ、超音波検査。
今日のマンモは相当痛かった…。圧縮しすぎ。

年季の入った建物だけど、キビキビ働くスタッフを見ていたら気持ちが良かった。
妄想族の私は、もし医療関係の仕事をするなら、
私は検査技師がいいなーなどと妄想に耽る。
試験管に入った何かを振ったり、顕微鏡で覗いたり、あくまで対物。
情緒不安定で、感情の起伏が激しい私には、
対人、しかもケアする立場の看護師は絶対無理。
なんて妄想しながら、サクサク検査は進む。

結果もあっという間に出て、ガン以外健康そのもの。
ただ、組織標本の病理結果がまだ出ない。
マレーシアではガンと判定されたけど、確認のため、再度病理検査をするとのこと。

「ガンじゃなかったりしてね。まぁでも、しこりあるしね。」と先生。
これでガンじゃなかったら、あまりにもブラックジョーク過ぎる。

なんとなく、私はここで手術するだろうな、と感じている。

来週にMRICTを撮って、敵の拡がり具合を確認予定。

11/12/2012

食べ納め

帰国準備の買出しのため、街へ繰り出す。

昼食は、1度行ってみたかった、オーガニックのベジタリアンレストランへ。
期待して行ったけど、メニューは品数が少なく、あまりパッとしない感じ。
何事も期待通りにはいかないもので。
でも、玄米で作ったナシレマ(ココナツミルクで炊いたご飯)は美味しかった。



テーブルにはおみくじが。今の私にどストライクで嬉しい一言。


ココナツミルクで炊いたご飯、通称ナシレマ。玄米版。
付け合せは唐辛子味噌と漬物とアーモンド。



買い物に手間取り、時間が押したため、夕食も外で済ませた。
本当は体によろしくないかもしれないけど、欲に負けたため。
帰国の間、しばしの食べ納めということで、月1は行ってるお気に入りのナン屋台で。

次回の来店はいつになることやら。



ポパイの栄養源でお馴染みのホウレンソウペーストが美味すぎ。
いつもはチーズナンだけど、ここは堪えてプレーンナンを注文。


サテ(マレーシア版焼き鳥)もしばらく食べ納めなり。
これにタンドリーチキンならぬ、タンドリーフィッシュも堪能。

11/08/2012

新たな問題

考え過ぎはよくないと言われるけど、
長年ネガティブ思考で杞憂がお得意の私には到底無理な話。
今は、のんびりしてたらチャンスを逃してしまいかねない事で頭がいっぱい。

ガン治療で生殖機能不全をきたす可能性。

母とスカイプ中に、どこかから仕入れた情報が提供された。
どこかの若い娘さんが大病を患い、薬で生理が止まった。
その後、結婚して3年経つがまだ生理が戻らない、という話。

以前、私も理解不十分な状態の時にチラッと受精卵凍結の話をしたら、
話のスケールが大きすぎて尻込みしてた母だけど、
この生情報を入手してから考えが変わったようで、
私が望むならば、先生と相談して、保険として凍結をしなさい、と。

相方は早く父親になりたがっていた。
来週に控えてる結婚式が終わったら、すぐにでも妊娠を望んでいた。
でも、敵の性格を知ってから、子どもはいなくても良い、と言い出した。
これは本心なのか、私に気を遣ってくれてるのか、
どちらにせよ本当に申し訳なくて苦しい。

でも話し合って話し合って、敵の状態と今後の治療法を鑑みて、
先生も勧めてくれたら、受精卵凍結をしようと決めた。

そこで大変な事に気付いた。

仮予約をしてる手術日の前に、早速1回排卵が起こりそうだけど、
病院も先生も決まってないし、何より敵の詳細が分かってない。
手術後の治療開始前に、次の排卵が巡ってくるまで猶予がどれくらいあるか分からない。
しかも、相方は月末にはマレーシアに帰らないといけない。

ここは冷静沈着に、排卵予定日と診察や検査や手術日を計算して調整しないと、
貴重なチャンスを逃してしまうことになる。

今、生理前症状が半端なく、下腹部と胸の痛みとイライラが激しい。
胸が痛むと、これはガンの影響?リンパの痛み?と不安が頭を過ぎる。
いつもなら、生理前のつらさに耐え難く、来るならさっさ来なさいよ!な気持ちなんだけど、
今回ばかりは、お願いだから1週間くらい遅れて来てください、という気持ち。


早速凝り出した大豆で五目煮。素敵な和食器が無い。


11/06/2012

食べ物に神経質になってきた

乳がんには、

乳製品が良くないらしい
肉食が良くないらしい
動物性油脂が良くないらしい

大豆が良いらしい
野菜と果物が良いらしい
玄米、全粒粉パンが良いらしい

どこまで出来るか分かんないけど、
できるところをやってみようかな。
全部は無理だけど。

命かかってるし。

でも元々そんな食事摂ってた人で、乳がんになった人もいるようだけど。

とりあえず、乳製品やめてみた。
チーズやヨーグルト大好きだけど、
乳酸菌は他から取ろうかな。キムチとか。

相方は牛肉を食べない家庭で育ったから、
流れで私もあんまり食べなくなったし、今では食卓にはまず乗らない。

それにマレーシアは多民族だから、
ベジタリアンも多くて、ベジタリアン向けの食材やレストランが結構あるから、
肉抜きは意外とできるかな。
でもたまには食べたいよなー。

今夜の夕食は、最近見つけて気に入ったベジタリアンレストランで、
バクテー(漢方入り豚肉煮込み)を食す。
もちろん、ベジタリアンなので豚肉の代わりに、
湯葉に似た物で作られた豚肉モドキが入ってる。
この漢方スープがなんともおいしくって、温まるー。

今日で2回目。
次回は穀米とやらを食べてみよう。

ご飯とセット ドリンク付けても300円弱


11/04/2012

どうやら敵は手強いようだ

勢いで結婚式もすることになった一時帰国まで、あと2週間。
そろそろ、準備に取り掛からないといけないのに、
嬉しい楽しいはずの一時帰国なのに、
帰国後、病院直行になってしまった。

ここで手術を受けるか、帰国後日本で受けるか葛藤した。
ここなら、待たずに今週にでも受けられる。
先生も信頼できるし、設備も問題ない。

でも、日本で受けることに決めた。

英語力の不安もあるし、保険のことも頭が痛い。
精神的にもつらい時期は、日本でゆっくり治療に専念したい。
相方とはしばらく離れるけど、彼もそれを望んでる。

でも一番の理由は、
自分のガンをよく知って、どの治療法が有効なのか、
自分で決めなければいけないと知ったから。
それには、やっぱり日本で情報収集したい。

ここの先生には、乳房温存でガン摘出が可能と言われた。
同時にリンパ節転移の有無を調べ、その後の病理検査の結果で、
放射線治療かホルモン療法か抗がん剤か、はたまたそれらを併用かというところ。

情報収集していると、切らないで治す治療法というのを見つけた。
四次元ピンポイント放射線療法と、ラジオ波焼灼療法というもので、
それぞれ、特殊な放射線で焼ききる、ラジオ波というやつで焼ききるというもの。

切らずに済むなら、どんなものかやはり知りたい。
自分の現状と共に、無料相談を受け付けている東京のとある先生に伺ってみたら、
「粘液ガンはおとなしいガンだが、大きく切り取らないと局所再発しやすい」とのこと。
それは全摘という意味か…。
再発しやすいって…。

どうやら、手術で摘出は避けられなさそう。
でも手術したとしても、それで終わりじゃなくて、そこからがスタートみたい。
リンパ節への転移がもし認められたら、更に話は厄介になるらしい。

知らぬが仏とも言うけど、
どの治療法を選択するかによって、確実に今後の私の将来が変わる。

日経メディカルオンラインに、今年の乳癌学会について記載があった。
今年の開催会長が、ちょうど私の帰国後の主治医になるであろう先生だった。
「どの患者にも一律の治療を施す時代は終わった」と書かれている。

それだけガンが多様で、治療法が多様化してるってことか。
近年飛躍的に乳腺外科があちこち設置されて、
わずか数年前には考えられなかったくらい、新薬や新技術が開発されて、
患者自身が声を上げて、多くのネットワークがあって、乳ガンは身近になってきた。

喜ぶべきなんだろうけど、喜べないよ…。
ガンになんてなりたくなかったよ。

でも、もう開き直って、治療してくしかない。
いくら泣いても、状況は変わらない。
無治療という選択もあるらしいけど、そこまで覚悟は座ってない。
ならば、闘うしかない。

帰国して15日には、初診の予約が入ってる。
そして27日には、手術の仮予約が既に入ってる。

そのまま手術となるのか、それとも代替治療を選択するのか、
手術の前に、先生に聞きたい事が山ほどある。
冷静に判断できるように、今からまとめておこうと思う。

昨夜からずっとこんな調子で、殆ど一睡もしなかった。
今日は日中出かける予定だったのに、ウダウダで出掛けず終い。
情緒も不安定気味で、相方に八つ当たり。

夕食は相方が作ってくれた。
トマトとソーセージのチャーハンとお味噌汁。
お味噌汁の具が、トマトとキュウリとレタス。
斬新過ぎる。
でも、トマトの酸味が絶妙で、意外においしかった。

相方さん、いつもごめんね。感謝してます。

11/03/2012

バチが当たったんだ

昨年年度末に退職して帰国してからの1年間、
英会話やバイトはぼちぼちしてたけど、
日に日にマリッジブルーが重症化して、
仕舞いにはメンタルクリニックに相談するほど、相当に病んだ時期があった。
周囲との関わりをシャットダウンして、閉じこもっていた。

今更悔やんでもしょうがないけど、
あの心身共に不健康で不摂生だった1年間が、
このガンを作り出したんじゃないだろうかと思う。

決断力の無さ過ぎる自分への焦りと苛立ち、
色んなものに甘えきっている自分への怒り、
勝手に自分でストレスを作って、勝手に自分で溜め込んで、
それを身内に八つ当たり。
甘えきって頼りきってる身内にしか、そんな姿を見せられないくせに、
本当に情けなくて、最低な1年だった。

そして自らの体にガンを作った。
バチが当たったんだ。

ここで自分をきちんと顧みて、きちんと心を入れ替えて、
私を支えてくれている人たちに、本気で感謝して生きていかないと、
本当にガンに負ける気がする。

ガンは自分が作るらしい。

本当だった。

11/02/2012

人生の風向きが大きく変わった

あれから5日が経った。

眠りから覚めた時、未だにこれは夢?と錯覚する瞬間がある。
脳が否定したがってるんだろうか。

そして、ああ、これは夢じゃないんだ…としばらく呆然となる。
まだ、他人事のように捉えている自分がいる。

情報でしか知らなかったガン患者というカテゴリに、
どうやら、もれなく私も含まれたらしい。

そして、情報でしか知らなかった闘病生活というものが、
どうやら、もれなく私にも始まるらしい。

入籍したてで、結婚式がもうすぐなんだけど。
こういうのって、ドラマや映画の中の話じゃなかったっけ?

嘘でしょ?
なんで私が? 
生存率?5年後?10年後?
一体何のはなし? 

11/01/2012

告知

10月29日
結果を聞くだけだし、と軽く考えてひとりで病院に行く。
前夜は多少不安になったけど、
検査結果が出るまでの待機時間が短いこともあってか、
そこまで緊張しなかった。

でも、予約の16時半を1時間過ぎても、なかなかお呼びが掛からない。
だんだん、悪い予感がしてくる。

だいたい16時半って最後の患者。
診察が押してたみたいだけど、待合室は私ひとりだけになった。
それは、例えば私が泣いてしまった場合、
誰にも見られないようにする病院側の配慮とか?
冷や汗が出てきて、体温が低下していくのが自分で分かった。
かなり緊張してる。

やっとお呼びが掛かると、先生は、
「今日はひとりで来たの」と。

ひとりで来たら、何かまずいことでもあるんだろうか。

先生は優しい笑顔で、
「結果は悪性だったけど、悪いガンではないわよ。」

緊張しすぎて、肝心なところを完全に聞き間違えた私は、
「え?ガンじゃなかった?良かったー本当に良かった。安心したー。」
と言った。

でもすぐに違和感に気付き、
「え?今、ガンって言いましたか

「そうよ。ガンだったの。私も驚いたけれど。」

一瞬何が起こったか分からなかった。
何ですか?今の。

でも、今度ははっきり「yes, it's a cancer.」と聞こえた。

これが俗に言う、告知という場面か。

先生はしきりに、このガンはガンの中でもタチが良いのよ、
と繰り返し言ってた気がする。
先生が絵を描いて、分かり易いように説明してくれる。
今後の治療方法の説明がなされ、うなずきながらそれを聞いた気がする。

メモを取ろうと、手元に用意してたノートには、
昨晩作った、良性だった場合の質問リストが並んでいた。

完全に思考回路が停止してた。

相方には先生から説明をしてくれるそうで、明日も病院に行くことになった。
告知された患者の混乱を予想して、そうしたガイドラインでもあるんだろう。
ありがたいことだ。

診察室を出て、ナースに「大丈夫ですか?」と声を掛けられ、
「全然大丈夫じゃない」と答えた。

迎えに来てくれた相方に電話で報告すると、絶句。
帰路の車内で私は号泣した。

私は乳ガンになった。
私のガンは、乳ガンの中でも稀な、「粘液ガン」というものらしい。

乳腺外科へ

しこりは良性(そう信じていた)でも、あるとやっぱり気になる。
時々触って、他にも異変がないか調べたりしてた。

なんだか楕円状に大きくなってる気がする。
それに、芯ができて全体的に膨れてる気がする。

これって成長してるんじゃないの?

専門医のいる乳腺外科に行こう。
相方が翌日すぐに予約を取ってくれた。
マレーシアで初めて乳腺外科が設置されたらしい総合病院。
やっぱり初めから専門医に診てもらうべきだったんだ。

1027
医者はインド系の綺麗な女医で、英語も癖がなく分かり易く話してくれた。
うなずきながら、私の話を聞いてくれた。

触診前に、「手が冷たいかもしれない、ごめんなさいね。」と、
手を温かい息で温めてから触診をしてくれた。
なんだか嬉しかった。冷たかったけど。

触診後すぐに超音波をして、少しの疑いも慎重に診たいからと、
局部麻酔によるcore biopsy(しこりの組織生体検査)を提案された。

勿論承諾し、すぐに処置が始まる。

注射針の太さと処置の音に驚かないでね、と予め説明を受け、
手際よく麻酔されてから、バシッと強烈な音でかなり驚いた。
麻酔で無痛なんだけど、鉄砲で射殺されたような気分。それを3回やった。

初診から良い医者で安心した。
病理検査の結果は明後日とのこと。

明後日とは早い。日本だと1-2週間待たされそうだな、と思った。

マレーシアもやるなー、とも思った。