12/25/2012

治療方針の話し合い2

胸の腫れはだいぶ治まってきた。
ということは、胸が小さくなってきた。
まだ若干の腫れが残っているから、これから更に小さくなる気なのかも。
この辺で勘弁しておいて欲しい。

その代わりに、だんだん硬くなってきた。
これはしばらく続いて、徐々に柔らかくなっていくものらしい。
そして、痛みのある部分と、まだ感覚が戻ってない部分がある。
表面の傷は小さくても、深い所まで切ったり縫ったりしているようだから仕方ないか。

先週縫合した脇の抜糸をするために、外来へ。
あの後、あまりにもあっさりとすんなり帰ってきてしまった事に後から気付いて、
もっと、具体的な突っ込んだ話を聞こうと、質問リストを作って行った。
先生とも今日で最後になるだろうし。

今回は、あまり待たされずにお呼びがかかる。
まずは抜糸。

数秒で終わり、キレイキレイと言われる。
傷が。

そして、もっと話を伺いたいと質問リストを開く。
質問したのは、だいたいこんな感じ。

現状で、ずばり再発リスクはどのくらい?
-何もしなくて、約90%は再発しないだろう。

ホルモン療法が再発を防ぐ可能性はどのくらい?
-約4%再発を防ぐことができるだろう。

じゃあ、100人中6人は、ホルモン療法をしても再発する可能性があるということ?
-うん、そういうことだね。でも、その6人に入らないように、ホルモン療法を勧めるんだよ。

タモキシフェン(抗エストロゲン剤)服用は5年間というのが、果てしなく長く感じる。
2~3年のデータが無いそうだが、無治療よりも2~3年間服用のほうが防止効果はあるか?
5年服用が標準だけど、無治療と比べるならば、2~3年服用のほうが効果はあるだろう。

前回、妊娠出産を先にするという選択肢があると言われたが、
無治療という選択肢も、私にはあると理解してもよいか?
-そうだね、選択肢としてはあると思う。
 でも、医者としては、再発リスクが少しでも減る治療を提供するけど、
 どれが正しいとは言いきれない。

先生は、いつも無難な回答ですり抜ける。医者は頭が良い。
要するに、ガンは医者にも分からないということで、
再発する人は再発するし、しない人はしない。
薬がうまいこと効くかもしれないし、効かないかもしれない。

今年で異動となる先生とは今日で最後。
次の外来は来月半ば。
初診の先生に戻るか、後任の先生にするか、どっちがいい?と訊かれ、
この際、色んな医者の意見を聞いておこうと思って、後任の方にお願いすることに。
大学病院から交代で異動してくる後輩だそうな。
最後に、お世話になりましたとお礼を述べて終了。

ホルモン療法、どうしようかな。
相方とも相談してるけど、まだ分からない。

でも、自分の体は自分が一番よく分かる。
ガンは、自分が作ったものだと理解する自分がいる。

ガンの原因は何なんだろう。遺伝の場合は別として。
やっぱり、いくら薬で対抗しても、
そもそも根本原因を正さないと、駄目なんじゃないかと感じる。

効果があるとしても、
人間の体に、自然に分泌している女性ホルモンを薬で完全に止めるなんて、
なんだかとても違和感があるというか。

長期間、副作用の苦しさに耐えながら、
人生が大きく変わるであろう子供を持つのを、その間諦めた挙句、
「残念ながら再発しました」「どうやら薬は効きませんでした」という結末は、
あまりにもショックが大きくはないか。

もし、無治療を選択して、将来再発してしまったら、
その選択をした自分自身の責任であって、まだ納得できる気がする。

私の場合、ホルモン受容体がそれぞれ99%という数値から、
女性ホルモンの影響を多大に受けているガンってことでしょう。
ホルモンバランスが何らかの原因で崩れたり、
異常が起こってしまったことによって、
細胞が悪さを起こして、ガンを作ったんじゃないの?

そもそも論だけど、
その何らかの原因を改善することが優先ではないの?

ある本では、誰しもガン細胞は体内で毎日作られていて、
ただ、健康な人は、そのガン細胞を消していく免疫があるのだと記載があった。

いくら暴飲暴食しようが、ストレス満載の生活してようが、ヘビースモーカーだろうが、
ガンにならない人はならない。
なんで?

やっぱり体質なんでしょうよ。
ガンを作る体質を持っているからということでしょう。

だったら尚更、体質改善が優先なんじゃないのかな。

と、無治療という選択が、あたかも理に適っているかのように思いたい心情。

12/23/2012

病理結果 治療方針の話し合い1

術後2週間後の外来。
術前の組織針で、既にある程度の結果は知らされていたし、
それは9割方正確だと聞いていたので、たいして緊張もせず、ひとりで病院へ。

「今日はひとり?」
先生の第一声がそれだったので、過去の経験からして、
なんかマズイ結果が出たんじゃないかと、一瞬怖気づいた。

退院後初の外来なので、まずは手術のおさらい。
絵を描きながら、丁寧に説明してくれた。
そして、にっくき敵の姿を画像で確認。
我ながら、気持ち悪いその肉塊に軽い吐き気をもよおす。

ガンそのものは、明らかに周囲の肉塊とは様子が違って見えた。
事前説明されていたように、ガンの周囲を2cm程大きめに切られてた。
その肉塊のスライス画像も確認し、
説明通り、端断部分のガン取り残しは見受けられなかった。

以下が病理検査の結果。
術後の治療選択を考慮する際、
私も他ブログに記載されている、これらの数値を参考にさせてもらう事が多いので、
私の場合も記載することにする。

組織型:特殊型(粘液ガン)
腫瘍径:1.1cm
リンパ転移:0/3(3個中0)
リンパ管侵襲:0
グレード(顔つき):1
MIB-1(Ki-67)(増殖スピードの指標):19%
p53(性質の指標):±
HER2(細胞のアンテナ):
ER(女性ホルモンエストロゲン受容体):2+ 99%
PgR(女性ホルモンプロゲステロン受容体):2+ 99%

組織針の結果とほぼ一致。
総合的に、顔つきが良く、おとなしい、増殖スピードはどちらかと言えば遅め、
そして、女性ホルモンの影響を多大に受けているタイプ。

本やネットを読み漁って事前勉強してたから、
説明前に、私はホルモン療法の対象であることがすぐに分かった。

抗ガン剤やHER2陽性に効くハーセプチンという薬による治療は、
どちらも副作用が残るだけで、殆ど効かないだろうとのこと。

ホルモン療法に使用する薬や、目的、効果、副作用について説明された。
使用する薬は2種類で、
LH-RHアゴニスト製剤の注射を月1回(または3カ月1回)、2年間と、
抗エストロゲン剤の経口薬を毎日1回、5年間を併用するとのこと。

事前に調べて知っていた薬品名や副作用の話を直に聞いていると、
あー、私も遂に、その領域のお仲間になったんだなーと、なんだか感慨深くなった。
既にガン患者になってるんだけど、
度々こうして自覚させられる場面は、なんとも切ない。

そして、話は核心へ。

さあて、妊娠出産はどうするかねえ、という話。

「子供を望むなら、ホルモン療法前に妊娠出産を持ってきても良いと思うよ。」
どうやらありがたいことに、敵の足は遅くておとなしいらしく、
私にも、まだその選択の余地があるらしい。

「でも、1人子供を授かったら、2人目も、という人が多いんだよね。」

「そうですね、そうなると思います。今は分からないけど。」

「うん、でも仮に、見えないガン細胞が全身に散らばっているとすれば、
ホルモン療法を早く開始するに越したことはない。
もし再発(遠隔転移含む)した場合、治癒するのは難しい。
そして、いずれは乳ガンが原因で死んでいく、ということになるね。」

死って、ちょっとあまりにも直接的すぎ。
禁句じゃないの、先生。

「もし、ガンの状態が悪ければ、
妊娠出産を先に、なんていう悠長な事なんて言ってられませんよね?
先生もこんな風に勧めたりはしませんよね?」

「そういう事だね。だから、その選択肢はあるという事。」
とハッキリおっしゃった。

「無治療という選択肢もありますか?」

「ありますよ。ただ、再発するかしないか、本当のところ誰にも分からない。」

要するに、神のみぞ知るということか。

説明全体は、事前に情報収集してたせいか特に驚かず、
だからと言って、咄嗟に何を質問すべきか思い当たらず、かと言ってすぐに決断も出来ず。
ホルモン療法については、家族とよく話し合ってゆっくり決めていいよ、とのこと。

放射線治療は、局所再発防止効果は高いと聞いていたし、
そもそも温存のため必須と推奨されるので、断る理由は無く、
年明け早々に予約を入れた。
照射は月~金の5回通院で5週間の計25回
地味に長い。

肝心で至極真面目な話し合いは、
診察室を行き交う看護師のおばちゃん達の声に、終始掻き消されながら終了した。
正直、うるさくて気が散った。
いつもの私なら、相手が看護師だとしても、
「少し静かにしてもらえませんか?」などと言いそうなんだけど、
生意気な患者だと思われて、変にわだかまりは作りたくなかったから、
ぐっと我慢して、先生の話を聞き逃さぬよう集中した。

看護師のおばちゃん達は、こなれた感がいっぱい。
先生よりだいぶ年上の方が多そうで、先生もタジタジな感じ。
途中、先生も気にしたのか、
看護師たちとの間にカーテンを引いた。

そうして淡々と話し合いは終了に向かい、そこで先生が、
「実はね、来年から異動になって。大学病院に行くことになって。」
「えー!?本当ですか?なんてこった…。じゃあ、私も大学病院に変わるってことですか?」
「いやいや(笑) そんなことしなくていいよ。」
的外れな質問だったようだ。

でも、治療の途中で主治医が変わるのって、
患者の本意ならまだしも、こんなのって先がちょっと不安。
最初から知ってる先生に担当してもらえる安心感というのは、
メンタルが弱い私にとっては、結構大きいんだけど。

初診、手術と主治医が変わって、更にまた変わるのかー。
どこもこんな具合なのかしらん。
まあ、セカンドオピニオンの手間が省けたと思って、
色んな医者の意見が聞けるってことで、良しとするかなー。
どうせ、マレーシアに戻ったら変わるわけだし。
しかも外国人だし。
…ということで、一時は落胆したものの、すぐに回復。

じゃあ、傷の確認をしましょうね、ということでベッドに横になると、
なんとまあ、脇の傷口が若干開いていた。
浸出液が少し漏れ出ていて、防水テープの中に溜まっていたから見えなかった。
そういえば、なんか痛かったような。

縫ったほうが傷が綺麗になるということで、
痛み止めの注射をして、ササッと2、3針手早く縫われた。

これは抜糸が必要ということで来週も外来予約。
そして、忘れていた脳の変な影について、
念のため、近い内に脳のMRIを取ったほうが良いとの事で、紹介状が用意された。
MRIは嫌いだ。

そして最後に、
「ということで、良い結果でした。」と笑顔の先生。
「良い結果なんですか?」
「勿論、ガンじゃないのが良いんだけどね。悪い結果じゃなかったってこと。」

良かった、と思っていいのかな。

12/13/2012

オートミール全粒粉クッキー

本気で食事療法をやろうと思っている今日この頃。
小腹が空いた時のおやつも、できるだけ手作りしようと決意。

オートミールと全粒粉でクッキーを作る。
レシピを探した末、良さそうなものを適当にアレンジして作ってみた。
お菓子作りは仕事にしてたくらい好きなんだけど、
肝心のバター無し、しかも薄力粉も卵も無しとなると、なかなか経験がない。

適当に作ってみたら、やや固めでザクザクという食感。
うーん、もっとおいしく出来ないかな。 

玄米菜食とか、食事療法とか、マクロビとか、ベジタリアンとか、ビーガンとか、
検索しまくって、図書館で本を借りまくり、目下研究中。


ひまわりの種やかぼちゃの種、ドライフルーツも少量加えて



香ばしく焼く



ザクザク。あっという間に食べ終わった

12/12/2012

入院8日目 退院 高額療養費について

昨夜は遅くまで寝付けず、読書でやり過ごしていたため、
ようやく寝付いたと思ったら朝が来て、看護師さんに起こされる。

退院は10時迄にしなければならず、
朝食を完食したら、いそいそと身支度をする。
なかなかの荷物となる。

お世話になった看護師長さんや看護師さんや助手さん達、
入院中に知り合いになった同じガン友の方々に御挨拶して、
母親が迎えに来る前に会計を済ませるべく、入院病棟から外来へ。

そこで、驚きの事実を知った。

1か月の医療費の一部負担金が高額となる場合、
一定の自己負担限度額を超えた分が助成されるという「高額療養費制度」。

先に会社なり役所に申請しておくと、「限度額適用認定証」が交付され、
それを病院に提出しておけば、外来でも自己負担限度額までの支払いとなる。

私も入院前に交付してもらい、病院に提出済みだったので、
自己負担額+α(食事代など)と思っていたら、

な、な、なんと!請求額は想像してた額の倍!

げげげ。手持ちが足りない!
で、でも、なんで!?

確認すると、請求書が2枚ある。
すぐに嫌な予感がした。
もしや…。
会計スタッフにそれとなく聞いてみると、予感は的中。

入院退院が月をまたぐと、この恩恵に引っ掛からないというパターンであった。
なんということ!まさに、お役所的制度!

私の入院期間は、1128日~125日の8日間。
入院費の計算は日毎らしく、
それぞれ11月分と12月分として請求書が2枚あった。

各月、自己負担限度額の上限まで請求されていて、それが2か月分。
もし、121日~128日の8日間の入院だったら、
1か月分の自己負担限度額だけで済んだということ。

ひょえ~。
数日待ってから、月初に入院手術すれば良かったって話じゃないか。
くそ~っ誰も教えてくれなかったよ!

制度概要を再度熟読してみると、
きちんと「1か月の~」、「1か月毎の~」、と漏れなく書かれている。

病院側も、高額療養費制度の存在については知らせるけども、
「月初に入院手術したほうがお得ですよ」なんて、
儲からないから絶対教えてくれない。
そんな事教えたら、月末の手術件数減るよね。
いや、実際少ないんじゃないかな?

この制度のお陰で、医療費が随分抑えられているのは、
重々承知で、ありがたい事なんだけど、
入院手術の内容は変わらないのに、入院日と退院日が月をまたぐってだけで、
請求額が倍近く違うとは、なんとも柔軟性の無い、おかしな制度!

ただでさえ、海外渡航、結婚式、義家族旅行にスカスカなのに。
差額で航空券買えたのにな…。ヒドイ…。

両親が数年前まで、私のためにガン保険を掛けてくれていたそうなんだけど、
ガンはまだ大丈夫だろうという考えと、ちょうど結婚話も出始めた頃だったから、
保険を見直した時に、思い切って解約したんだそうな!
なんてことを…。
まーいつまでも親に頼ってるわけにもいかず、仕方ないけど。残念極まりない。

まさかこの歳でガンになるとはね。

せめてもの救いは、かろうじて加入してた医療保険。
入院も手術も保障されるようで、今回の分は何とかカバーできそう。
だけど、これから長期戦だとつらいな。

でも、今回の事で2つの知識が身に付いた。

「入院手術は月末にするな(緊急を除く)」
「ガン保険は入るべし」

入院7日目 

術後は特に検査があるわけでもなく、
やることと言えば、1日に3回程の体温と血圧測定と胸の傷チェックのみ。

左胸は相変わらず豊満。
痛みがあるなら、注射針を刺してリンパ液を抜けるらしいけど、
また溜まってくるみたい。
注射針は細くて殆ど痛みは無いそうだけど、
また溜まるのも嫌だし、特に痛みも無いし、
もし尋常じゃなく腫れてきたら抜く、ということにしてやめといた。

同部屋の2人は、抗がん剤投与のみで退院となり、
そしてまた、セレブとなった。
私も退院の許可が出て、明日退院することにした。

病院の中は季節感ゼロ。
天気も良く、セレブ部屋なので窓を開けて寒さを味わう。
外は寒い寒い。
新鮮な空気が気持ち良かった。

病院にずっと居ると、どんどん病気になりそう。

12/10/2012

入院6日目

同部屋に新しく2人が入院された。
2人とも抗がん剤投与のための入院のようで、
副作用があるのか、精神的なものなのか、言葉数少なくカーテンを閉めている事が多い。

人それぞれ症状は違うと分かってるけど、
使用している薬の名前や回数について、先生や看護師さんとの会話から漏れ聞こえると、
本やネットで変にガンの知識がついているせいで、
今どんな状態なのか、なんとなく分かるようになってきている。

治療法も薬もどんどん新しいものが開発されていて、
自分の考えやライフスタイルに照らし合わせて、
敵とどう闘っていくのか、最終的に自分で選択し決断することが迫られる。

ガンと知って1カ月経たないうちに、
帰国するかどうか、病院の選択、術前に受精卵凍結をするかどうか、
手術するか切らずに治す方法か、乳房温存か全摘か、
様々な選択を迫られて決断してきた。なかなかストレスフルだった。
そして、ガンと知ってからちょうど1カ月後に入院、手術となった。

術後の治療で、今後も選択が迫られることになる。
先生との話をきちんと理解できるように、自分も多少の知識を持ちたいと思う。

今日は、昨日よりも落ち着いてシャワーができた。
そして少しだけ鏡に映った姿を目にした。

温存とは名ばかりで、えぐり取られていびつな形になっている胸の症例写真を
本や雑誌で目にしていたし、
ネガティブ志向も相まって、かなり悪いイメージを抱いては
自分の姿に衝撃で号泣する、というシーンを想像してた。

実際の印象は、思った程悪くなかった。
まあ、かなり腫れてるせいなんだけど。

この腫れが治まった時、どのくらい萎んでしまうんだろう。
せめて右胸と大差ないくらいでいてくれたら。
そんなわけないかー。切ったのだもの。

入院5日目

昨夜は眠剤を飲んだけど結局あまり眠れず。
ガンの本に、不眠は万病の元だと書いてあった。
この体質を改善せねば。

日曜の病院は外来も休みでのんびりしている。
誰もいない時間にお風呂に入りたくて、決められた時間より少し早めに行ってみた。

お風呂場には鏡があるから、鏡に自分の姿が映らないように椅子を置いて座る。
左腕のリハビリも兼ねて5日ぶりの洗髪。
思ったより腕は動いて、上手く洗えてかなりすっきり。
ただ、5日ぶりのためか、抜け毛がゴッソリで相当ビビった。
まだ抗がん剤はしてないのに…。
排水溝に流すにも量が量なので、慌てて掻き集めてゴミ箱へ。

胸の傷は、ちょっとだけ上から見下ろしてのぞき見た。
でも、リンパ節切除を免れたため、リンパ液を抜くドレーン(管)が挿入されておらず、
リンパ液が中で溜まっているらしく腫れている。

実際、健常な右胸よりも大きいので、まるで豊胸手術をしたみたい。
あれ!?大きくなってるし!?

乳頭もギリギリ切除を免れて残っている。
でも切除部分は乳頭下なため、上から見下ろすと腫れた胸に隠れて見えない。

腫れているせいで、だいぶショックが和らいだけど、
鏡に映して全体像を見る勇気はまだない。
湯気で鏡が曇っていて助かった。

ドレーン(管)がない分、退院は早いそうなのだけど、
いかんせん腫れがひどいので、退院は腫れ引き待ちみたい。

院内が暖かいせいもあると思うけど、術後ずっと38度前後の熱が続いている。
左胸が腫れていて、熱がこもっているみたい。
軽く頭痛がするけど、好き嫌いを予め伝えていた病院食は、
ありがたいことに嫌いなものが抜かれているため、毎回完食。

先生も看護師さんも他の患者さんたちも皆さん良い人ばかりで、
古い病院でテンション下がってたけど、慣れてしまえば十分快適。
実家から近いし、放射線治療で毎日通院するのも苦にならずに済みそう。
我ながら現金な奴。

ただ、全身麻酔の影響か、術後便秘になった。
下剤をもらい、腸を動かすためにテクテク院内を探検。

入院4日目

相方は今朝早く空港に発ち帰国の途へ。
しばらく会えないから、昨夜の別れはやっぱり少しつらかった。

毎日病院へ付き添ってくれ、看護師さんたちにも覚えられ、
色々話しかけられたり、同部屋の方々とも挨拶をして気を遣ってくれた。
術前術後の主治医からの説明も受け、術後はずっと横に居てくれた。

急遽予定を変更して、日本滞在期間を延長したため、
帰国後の仕事や大学が忙しいのに、いつも嫌な顔一つせず私を一番に考えてくれる。
一番精神的に支えてくれているのは、やはり相方なんだなー、と実感。
頼る存在が親から配偶者にシフトしている実感。

今日は同部屋の2人が退院となり、一気に私ひとりとなり、
4人部屋で個室というセレブとなった。
人口密度が減り、体感温度が下がって肌寒い。
そして、戦友がいなくなってちょっと寂しい。

さんは、ご夫婦で他県から移住されて来ており、喫茶店をしているらしい。
退院したら行ってみようかな。
入院中、寺の尼さんみたいだったさんは、
ウィッグと化粧で見違えるほどの美人さんになった。

土曜日の今日は、午前中に両親が、午後に姉と姪っ子が来てくれた。
いつもと様子の違う私と病院という場所柄、姪っ子は最初は戸惑っていたけど、
すぐにセレブ部屋を気に入り、一緒にテレビを見て過ごした。

明日からシャワーが出来るみたい。
まだ傷口を見ていない。まだ怖くて見られない。
きっと、シャワー中も目を閉じてしまうだろうと予測している。

今夜はなんだか眠れそうにない。

12/08/2012

入院3日目

一睡もせず、一晩もがき苦しんだ翌朝はさすがに疲労困憊。
朝食はベッドの背もたれをほぼ垂直にされて完食。

リンパ節切除は免れたので、リンパ液を排除する管は挿入されていなかった。
シャワーはまだ駄目なので、看護師さんに体を拭いてもらい、
不快だったおしっこの管を抜いてもらえた。

やっと起き上って歩き回れる。もう腰は待った無しの状態。
まずは病棟を2周回った。歩けるって素晴らしい。

エコノミー症候群防止靴下という術前に履いていた、キツキツの靴下を脱いだ。
腰痛はまだ続いてたけど、動き出したことでだいぶ楽になった。

相方と母親が枕を持って来てくれた。
病院の枕が合わず、昨夜はだいぶ苦しかった。
こんなことなら、入院日に枕持参しといたらよかった。

午後には全ての点滴も外れ、胸を圧迫していた包帯とスポンジが解かれ、
だいぶ体が軽くなった。病院の売店まで買い物にも行った。

夕食も完食。
夕食後、仕事帰りの親友がお見舞いに来てくれた。

病気の事は、親しい人にしか話をしていない。
術後治療が一段落するまでは、実家にお世話になる予定だけど、
私が地元に戻ってきている事は、両親と姉、そしてこの親友以外話をしていない。
時期が来た時、話す機会が訪れたら、その時に話せばいいかと今は思ってる。

今夜は疲れでぐっすり眠れそうだ。

12/07/2012

入院2日目 手術

昨晩は眠剤のお陰でぐっすり眠った。

午前中の手術に控え、着替えを済ませてお呼び出しを待つ。
昨夜から断食で、今日は一日何も口にすることは出来ない。
手術室へ向かう前に、空腹のまま、部屋でストレッチャーに横たわり、
緊張を和らげるための筋肉注射を肩に打たれる。
激痛。

人によっては、この注射でうつらうつらとなり、
ガチガチに緊張する人は、この注射後もギンギンに目を見開いて起きてるそうで、
きっと私にも効かないだろうなーと思っていたら、
うつらうつらどころか、この先の記憶が無い。
手術室では、全身麻酔前に名前の確認があるらしかったけど、聞かれた覚えはまるで無い。

唯一覚えているのは、術後まもなく、
誰かに手を差し伸べ、手を握ってもらい、
その誰かの手の温かさに安心して涙が出て、その涙をまた違う誰かが拭ってくれた事。
(やはりそれは看護師さんの手だった)

「全て予定通り。リンパ節転移も無かったよ。」
またどこかから誰かの声が聞こえて、一気に安堵感が広がった。
そこから再度、記憶が遠のく。

目覚めると、今度は部屋のベッドで寝ていて、耐え難い腰痛が待っていた。
胸は包帯とスポンジで圧迫され、
サラシのようなものでグルグル巻かれて苦しいのだけど、
それよりも遥かに腰痛が半端無く、腰が砕け割れるかと思う程に酷い痛みに襲われた。

過去にも、全身麻酔で手術をした経験は何度かあるのだけど、
同じ姿勢で寝ていたからといって、こんなに酷い腰痛に襲われたのは初めてだった。
生理時の腰痛の100倍くらい。

相方が面会時間の最後まで付き添ってくれ、
腰にクッションを挟んでくれたり、水を飲ませてくれたり、
早速の私の愚痴を横で黙って聞いてくれた。
相方が帰ってしまうと、そこから長い長い夜が始まった。

包帯とスポンジで圧迫しているが故の胸の息苦しさと、激しい喉の渇き、
39度の高熱と頭痛、そして猛烈な腰の痛み。
麻酔が切れてくると、今度は胸の圧迫痛が耐え難くなり、
腰痛で体勢を変えたくても、胸が痛くて身動きが取れず、ベッドの中でもがき苦しんだ。
色んな管も体に入っていて、相当に煩わしかった。

少しでも楽な体勢を確保するため、動かせる範囲で必死にモゾモゾ動く。
5分も経つとまたつらくなり、また次の体勢にすべくモゾモゾ。
1時間経ったと思って時計を見ても、まだ10分しか経っていない。
その繰り返し。

あまりにもつらくなると、ナースコールでヘルプを頼んだ。
解熱剤と鎮痛剤を飲み、これで少しは眠れるかと思うが、腰痛には効かず。
雪山で遭難したり、どこかに閉じ込められている人や寝たきりの人たちの気持ちは
こんなものなのかなと、苦しいながらも妄想が広がった。

本当に本当に長い夜だった。
術後ゆっくり眠りたいのに、結局一睡もすることはできなかった。
あんなに朝が待ち遠しかったことは無い。

入院1日目

1128日 入院。

午前中入院手続きを済ませるも、看護師長に昼食は外食したいと早速我儘を申し出、
検査時間には必ず戻るという約束をして、病院食は夕食からにしてもらった。
相方の日本滞在が残り僅かなため。

午後は、リンパ節転移の有無を確認すべく術中に実施される、
センチネルリンパ節生検に必要な、アイソトープという薬を左乳房に注射した。
麻酔もしたけど、かなり痛い。
この薬に加え、更に術中色素を注射する併用法を用いて、
これらを目印にセンチネルリンパ節を探し、
術中迅速診断にて転移の有無を確認するとのこと。
なんとしても、リンパ節転移は免れたい。

手術の担当医(主治医)は、
外来の先生とは別の先生になると以前より説明は受けていたけど、
手術前夜に初対面とは、気持ち的についていけるか心配だった。
チーム医療をしている病院だから、当然、情報はきちんと共有されているはずだけど、
手術前夜という至極ナイーブな時に、もしも私のシックスセンスがNOと感じる先生だったら、
このギリギリな場面でどうすりゃいいんだろう、とだいぶ不安になっていた。

左乳房への術前マーカーのために、超音波室に入り、
そんな気持ちで先生を待っていたら、第一印象は悪くない先生が入って来た。
最初の印象というのは、後々も変わらない事が多い気がする。

軽く挨拶をして、エコーで敵の大きさと位置を確認。
寝た姿勢と起き上った姿勢で何度も確認しながら、丁寧にマジックでマーキングされていく。

その後、相方と母親も同席して、手術の最終説明がなされる。
手術方法の説明のみがなされるのかと思っていたら、
乳がんとは?というだいぶ始めの部分から親切丁寧に説明を開始してくれ、
写真や絵を描きながら、たっぷり2時間かけて話をしてくれた。
途中、横で母親が少し泣いてたけど、先生の説明は相方もよく理解できたそうだ。

とりあえずは、乳房温存で実施することになったけど、
切除断面のガン取り残しを術中迅速判断にて調べ、
追加切除が必要となった場合は追加切除、更に切除が必要となった場合は、
全摘に切り替えて、敵を打倒することで了承し、同意書へサインをした。

温存と言っても、どれだけ綺麗に残せるかどうかは、
敵の顔つきと先生の腕前次第ということか。
兎にも角にも、信頼できる良さそうな先生で安心した。

4人部屋では、2名の乳ガン先輩と同室。
1人は2日前に右乳房全摘したさんと、
もう1人は10年前に全摘後、脳と肺に遠隔転移し、抗がん剤治療を受けているさん。
2人とも元気で、消灯時間まで話が止まらない。主にガン話で盛り上がる。

Bさんは、32歳の時に乳ガンが見つかったそうで、
術後10年以上何もなかったとのこと。
その話を聞いて、自分の発病年齢と10年後を重ねて考えずにはいられなかった。

そんな調子と不眠体質のため、明日のために眠剤を処方してもらった。

11/27/2012

怒涛の一週間

結婚式が終わってホッとしたのも束の間。

義家族の観光案内と帰国見送り。
病院の診察、検査。婦人科の診察。
友人の結婚式で神戸行き。
術前の最後の温泉行き。

今月14日に帰国してから、ずっとバタバタしてる。
悲嘆に暮れる時間もなく、慌てて明日からの入院準備をやっと先程終えたところ。
この1週間を軽く整理してみる。

義家族はトータル6日間の滞在で、結婚式を含め日本を満喫してくれた模様。
毎日何かと行動してたから、寒さと疲れで後半体調崩しぎみだったのが申し訳なかった。
でも良い経験が出来たと喜んでくれ、今度は桜が見たいとのこと。
病気についても理解してくれており、まずは治療に専念するよう言ってくれている。
相方は帰国便を延長し、手術まで滞在してくれることに。
皆どうもありがとう。

病院では、敵の詳細が段々と明らかになってきた。
人生初のMRIは、軽視してたのが間違いだった。
私には結構恐怖で、出来ればもう二度とやりたくない。
防音のためにヘッドホンからクラシックが流れてたけど、
あんなの何の役にも立たない。音がうるさすぎる。
どうせなら、選曲できるようにして、ロックをお願いしたい。でも体が動きそうでやばいかな。
また、少し閉所恐怖症ぎみかもしれぬ、と悟った。

人生初のCTでは、思いもよらぬ事に、脳に異常が発見された。
脳の一部にぽっかり空洞化している箇所があり、まさしく「脳足りん」状態。
問題ないようだとのことだけど、念のため、入院中に脳外科も受診することに。
大いに驚かされたし、なんとも恐ろしい。
なんともありませんように。

婦人科は別の病院へ。
ガンの詳細と妊娠希望を伝え、受精卵凍結の相談に。
頭脳明晰でやり手な印象の担当女医は、一見冷たそうだったけど、割と好きかも。
無駄に甘い言葉なんかより、ズバッと回答してくれて分かり易く頼もしい。

乳腺外科の先生とも知り合いのようで、
足並みをそろえながらやっていこう、いつでも相談して、と言ってくれた。
また、抗がん剤治療をするのであれば、事前に必ず相談するようにとのこと。
抗がん剤治療以外であれば、急ぐ必要はないとのこと。
「精子だけなら今日でも凍結できるよ。2万円ね。まー、ご主人に問題なければの話だけど?」
いい先生でした。

一時はどうなるかと思ったし、急遽欠席させてもらおうとも考えた友人の結婚式。
でも、友人の晴れ姿見たさに、他のなつかしい友人たちと再会したさに、神戸行きを強行。
1日入院が早まっていたら出席は難しかったかもしれない。
初めて拝見した旦那様はとても優しそうで、友人は本当に幸せそうだった。
そして、なつかしい面々とのプチ同窓会。久々でも会えば変わらず会話が弾んだ。

大阪や神戸も10数年前に住んでいた頃とはすっかり変わっていて、
ちょっぴり寂しさを感じた。
時間が過ぎることで、人も場所も思い出も変化していく。

私たちは、時を刻んで生きている。
今は居ないあの人も、この人も、しっかりここに生きていた。
そして私もいつかは居なくなる。
生死を繰り返して、また新たな命が繋がっていく。
人生って何なんだろうね。
妄想は今日も続く。

明日から入院ということで、宿泊している暇はないけど相方と日帰り温泉を強行。
30年近く、私の一部だった左胸を見納めてもらった。
将来、乳房再建をする時が来るかもしれないけど、真の左胸とは本当にこれでお別れ。

帰国後からずっと気が張っていて、今こうしてひとりPCに向かっているけど、
なんだか急に泣けてきた。

この期に及んで、子供のように泣き喚いて、入院や手術から逃げ出したい気分。
やっぱり、本心は切りたくないんだよ。

11/22/2012

結婚式

朝から大雨の土曜日。
どうなることやらと思ったけど、午後から晴れて一安心。

双方近しい親族のみで、さっくり神前式をした。

白無垢の重いこと重いこと。まるで布団を着ているよう。
相方は、初めての紋付袴に着られぎみで、ちょうど時期である七五三のよう。

式前にちゃちゃっと手順を練習して、いざ本番。
全く緊張せず。余裕を持って臨めた。

式中、「巫女の舞」の儀なるものがあり、不謹慎にもひとり笑いそうになる。
大変貴重なものを拝見した。

お義母さんの留袖姿は、日本人にしか見えないと大好評。
恰幅が良いから、どっしり似合ってました。本人もご満悦のよう。

式後は、フレンチレストランで食事会。
カジュアルなフレンチと格式の高いフレンチ、どっちにしようか迷ったけど、
途中、居酒屋並みの盛り上がりとなり、
やはりカジュアルにしといて良かった、と胸を撫で下ろす。

レストランからサプライズでケーキを用意くださり、
予定してなかったケーキ入刀をすることに。
温かい雰囲気とおいしいお料理、親族のみで和気あいあいと楽しめた。

ドタバタで決まった結婚式と義家族の日本行き。
準備が面倒臭く、直前に病気が見つかって一時はキャンセルも考えたけど、
両家顔合わせも出来たし、義家族ともグッと距離が縮まった気がする。

喧嘩は程々に、末永く幸せになりますように。


神前式は粛々と進む。義家族に日本文化も紹介できて良かった


レストランからサプライズ とっても優しい味がしました



11/16/2012

地元で初診

地元の総合病院で初診。
年季の入った建物で、ちょっとテンション下がったけど仕方が無い。

マレーシアから持ってきたレターと組織標本を渡すと、
あまり待たされることもなく、すんなり呼ばれた。

先生も想像通り、経験豊かで優しそうな印象だけど、
相当数の患者を抱えてる先生にとっては、
私もそのうちのone of 患者s なわけで、まだ少し距離感がある。
でもそれは大きな問題とはならないと思うし、とりあえず信頼出来そうな印象。

まずは触診だけやった後に、
「リンパへの転移は無いね、しこりは思ったよりも小さいね。」と言われた。
理由なくホッとする。

目の前の先生に、余所の病院や先生の治療法について質問するのは、
だいぶ気を遣ったけど、遠慮してる場合じゃないので、
気になってた切らずに治療するピンポイント放射線へのご意見を聞いてみた。

「陽子線治療については、私もメンバーのひとりだけど、乳ガンにはまだ適応していない。
四次元ピンポイント放射線?それは知らない。どこ?
あるとしても、まだ確信もないよ。コレも多いし…。(と言いながら、眉を指で何度かなぞる)
乳ガンは(再発も転移もあり得るから)全身病だからね、切れるなら切った方が良いよ。」

眉をなぞるのは、「眉つば」って意味か?
まあ、切らないで治すという考えは、特に抵抗も無く、そこですんなり頭から消えた。
だんだん腹が据わってきた。

受精卵凍結は、事情を話すとガンの詳細を先に調べてくれることなった。
術後に放射線治療をすることになったとしても、子宮や卵巣には影響ないと言われた。
そして、たとえ抗ガン剤治療が必要という結果になったとしても、
妊娠出産を先に終えて、それから抗ガン剤を開始するというのもあるそう。
ガンに追われる前に、全て急がないといけないと思ってたから、これには驚き。
でも、これはあくまで、現段階の話であって、今後は分からないと思う。
ただ、保険として凍結していると、精神的に安心が得られるのは間違いない。
まずは敵の性格が分かってから。

その後は検査検査。
尿検査、血液検査、心電図、肺活量検査、胸部レントゲン、マンモグラフィ、超音波検査。
今日のマンモは相当痛かった…。圧縮しすぎ。

年季の入った建物だけど、キビキビ働くスタッフを見ていたら気持ちが良かった。
妄想族の私は、もし医療関係の仕事をするなら、
私は検査技師がいいなーなどと妄想に耽る。
試験管に入った何かを振ったり、顕微鏡で覗いたり、あくまで対物。
情緒不安定で、感情の起伏が激しい私には、
対人、しかもケアする立場の看護師は絶対無理。
なんて妄想しながら、サクサク検査は進む。

結果もあっという間に出て、ガン以外健康そのもの。
ただ、組織標本の病理結果がまだ出ない。
マレーシアではガンと判定されたけど、確認のため、再度病理検査をするとのこと。

「ガンじゃなかったりしてね。まぁでも、しこりあるしね。」と先生。
これでガンじゃなかったら、あまりにもブラックジョーク過ぎる。

なんとなく、私はここで手術するだろうな、と感じている。

来週にMRICTを撮って、敵の拡がり具合を確認予定。

11/12/2012

食べ納め

帰国準備の買出しのため、街へ繰り出す。

昼食は、1度行ってみたかった、オーガニックのベジタリアンレストランへ。
期待して行ったけど、メニューは品数が少なく、あまりパッとしない感じ。
何事も期待通りにはいかないもので。
でも、玄米で作ったナシレマ(ココナツミルクで炊いたご飯)は美味しかった。



テーブルにはおみくじが。今の私にどストライクで嬉しい一言。


ココナツミルクで炊いたご飯、通称ナシレマ。玄米版。
付け合せは唐辛子味噌と漬物とアーモンド。



買い物に手間取り、時間が押したため、夕食も外で済ませた。
本当は体によろしくないかもしれないけど、欲に負けたため。
帰国の間、しばしの食べ納めということで、月1は行ってるお気に入りのナン屋台で。

次回の来店はいつになることやら。



ポパイの栄養源でお馴染みのホウレンソウペーストが美味すぎ。
いつもはチーズナンだけど、ここは堪えてプレーンナンを注文。


サテ(マレーシア版焼き鳥)もしばらく食べ納めなり。
これにタンドリーチキンならぬ、タンドリーフィッシュも堪能。

11/08/2012

新たな問題

考え過ぎはよくないと言われるけど、
長年ネガティブ思考で杞憂がお得意の私には到底無理な話。
今は、のんびりしてたらチャンスを逃してしまいかねない事で頭がいっぱい。

ガン治療で生殖機能不全をきたす可能性。

母とスカイプ中に、どこかから仕入れた情報が提供された。
どこかの若い娘さんが大病を患い、薬で生理が止まった。
その後、結婚して3年経つがまだ生理が戻らない、という話。

以前、私も理解不十分な状態の時にチラッと受精卵凍結の話をしたら、
話のスケールが大きすぎて尻込みしてた母だけど、
この生情報を入手してから考えが変わったようで、
私が望むならば、先生と相談して、保険として凍結をしなさい、と。

相方は早く父親になりたがっていた。
来週に控えてる結婚式が終わったら、すぐにでも妊娠を望んでいた。
でも、敵の性格を知ってから、子どもはいなくても良い、と言い出した。
これは本心なのか、私に気を遣ってくれてるのか、
どちらにせよ本当に申し訳なくて苦しい。

でも話し合って話し合って、敵の状態と今後の治療法を鑑みて、
先生も勧めてくれたら、受精卵凍結をしようと決めた。

そこで大変な事に気付いた。

仮予約をしてる手術日の前に、早速1回排卵が起こりそうだけど、
病院も先生も決まってないし、何より敵の詳細が分かってない。
手術後の治療開始前に、次の排卵が巡ってくるまで猶予がどれくらいあるか分からない。
しかも、相方は月末にはマレーシアに帰らないといけない。

ここは冷静沈着に、排卵予定日と診察や検査や手術日を計算して調整しないと、
貴重なチャンスを逃してしまうことになる。

今、生理前症状が半端なく、下腹部と胸の痛みとイライラが激しい。
胸が痛むと、これはガンの影響?リンパの痛み?と不安が頭を過ぎる。
いつもなら、生理前のつらさに耐え難く、来るならさっさ来なさいよ!な気持ちなんだけど、
今回ばかりは、お願いだから1週間くらい遅れて来てください、という気持ち。


早速凝り出した大豆で五目煮。素敵な和食器が無い。


11/06/2012

食べ物に神経質になってきた

乳がんには、

乳製品が良くないらしい
肉食が良くないらしい
動物性油脂が良くないらしい

大豆が良いらしい
野菜と果物が良いらしい
玄米、全粒粉パンが良いらしい

どこまで出来るか分かんないけど、
できるところをやってみようかな。
全部は無理だけど。

命かかってるし。

でも元々そんな食事摂ってた人で、乳がんになった人もいるようだけど。

とりあえず、乳製品やめてみた。
チーズやヨーグルト大好きだけど、
乳酸菌は他から取ろうかな。キムチとか。

相方は牛肉を食べない家庭で育ったから、
流れで私もあんまり食べなくなったし、今では食卓にはまず乗らない。

それにマレーシアは多民族だから、
ベジタリアンも多くて、ベジタリアン向けの食材やレストランが結構あるから、
肉抜きは意外とできるかな。
でもたまには食べたいよなー。

今夜の夕食は、最近見つけて気に入ったベジタリアンレストランで、
バクテー(漢方入り豚肉煮込み)を食す。
もちろん、ベジタリアンなので豚肉の代わりに、
湯葉に似た物で作られた豚肉モドキが入ってる。
この漢方スープがなんともおいしくって、温まるー。

今日で2回目。
次回は穀米とやらを食べてみよう。

ご飯とセット ドリンク付けても300円弱


11/04/2012

どうやら敵は手強いようだ

勢いで結婚式もすることになった一時帰国まで、あと2週間。
そろそろ、準備に取り掛からないといけないのに、
嬉しい楽しいはずの一時帰国なのに、
帰国後、病院直行になってしまった。

ここで手術を受けるか、帰国後日本で受けるか葛藤した。
ここなら、待たずに今週にでも受けられる。
先生も信頼できるし、設備も問題ない。

でも、日本で受けることに決めた。

英語力の不安もあるし、保険のことも頭が痛い。
精神的にもつらい時期は、日本でゆっくり治療に専念したい。
相方とはしばらく離れるけど、彼もそれを望んでる。

でも一番の理由は、
自分のガンをよく知って、どの治療法が有効なのか、
自分で決めなければいけないと知ったから。
それには、やっぱり日本で情報収集したい。

ここの先生には、乳房温存でガン摘出が可能と言われた。
同時にリンパ節転移の有無を調べ、その後の病理検査の結果で、
放射線治療かホルモン療法か抗がん剤か、はたまたそれらを併用かというところ。

情報収集していると、切らないで治す治療法というのを見つけた。
四次元ピンポイント放射線療法と、ラジオ波焼灼療法というもので、
それぞれ、特殊な放射線で焼ききる、ラジオ波というやつで焼ききるというもの。

切らずに済むなら、どんなものかやはり知りたい。
自分の現状と共に、無料相談を受け付けている東京のとある先生に伺ってみたら、
「粘液ガンはおとなしいガンだが、大きく切り取らないと局所再発しやすい」とのこと。
それは全摘という意味か…。
再発しやすいって…。

どうやら、手術で摘出は避けられなさそう。
でも手術したとしても、それで終わりじゃなくて、そこからがスタートみたい。
リンパ節への転移がもし認められたら、更に話は厄介になるらしい。

知らぬが仏とも言うけど、
どの治療法を選択するかによって、確実に今後の私の将来が変わる。

日経メディカルオンラインに、今年の乳癌学会について記載があった。
今年の開催会長が、ちょうど私の帰国後の主治医になるであろう先生だった。
「どの患者にも一律の治療を施す時代は終わった」と書かれている。

それだけガンが多様で、治療法が多様化してるってことか。
近年飛躍的に乳腺外科があちこち設置されて、
わずか数年前には考えられなかったくらい、新薬や新技術が開発されて、
患者自身が声を上げて、多くのネットワークがあって、乳ガンは身近になってきた。

喜ぶべきなんだろうけど、喜べないよ…。
ガンになんてなりたくなかったよ。

でも、もう開き直って、治療してくしかない。
いくら泣いても、状況は変わらない。
無治療という選択もあるらしいけど、そこまで覚悟は座ってない。
ならば、闘うしかない。

帰国して15日には、初診の予約が入ってる。
そして27日には、手術の仮予約が既に入ってる。

そのまま手術となるのか、それとも代替治療を選択するのか、
手術の前に、先生に聞きたい事が山ほどある。
冷静に判断できるように、今からまとめておこうと思う。

昨夜からずっとこんな調子で、殆ど一睡もしなかった。
今日は日中出かける予定だったのに、ウダウダで出掛けず終い。
情緒も不安定気味で、相方に八つ当たり。

夕食は相方が作ってくれた。
トマトとソーセージのチャーハンとお味噌汁。
お味噌汁の具が、トマトとキュウリとレタス。
斬新過ぎる。
でも、トマトの酸味が絶妙で、意外においしかった。

相方さん、いつもごめんね。感謝してます。

11/03/2012

バチが当たったんだ

昨年年度末に退職して帰国してからの1年間、
英会話やバイトはぼちぼちしてたけど、
日に日にマリッジブルーが重症化して、
仕舞いにはメンタルクリニックに相談するほど、相当に病んだ時期があった。
周囲との関わりをシャットダウンして、閉じこもっていた。

今更悔やんでもしょうがないけど、
あの心身共に不健康で不摂生だった1年間が、
このガンを作り出したんじゃないだろうかと思う。

決断力の無さ過ぎる自分への焦りと苛立ち、
色んなものに甘えきっている自分への怒り、
勝手に自分でストレスを作って、勝手に自分で溜め込んで、
それを身内に八つ当たり。
甘えきって頼りきってる身内にしか、そんな姿を見せられないくせに、
本当に情けなくて、最低な1年だった。

そして自らの体にガンを作った。
バチが当たったんだ。

ここで自分をきちんと顧みて、きちんと心を入れ替えて、
私を支えてくれている人たちに、本気で感謝して生きていかないと、
本当にガンに負ける気がする。

ガンは自分が作るらしい。

本当だった。

11/02/2012

人生の風向きが大きく変わった

あれから5日が経った。

眠りから覚めた時、未だにこれは夢?と錯覚する瞬間がある。
脳が否定したがってるんだろうか。

そして、ああ、これは夢じゃないんだ…としばらく呆然となる。
まだ、他人事のように捉えている自分がいる。

情報でしか知らなかったガン患者というカテゴリに、
どうやら、もれなく私も含まれたらしい。

そして、情報でしか知らなかった闘病生活というものが、
どうやら、もれなく私にも始まるらしい。

入籍したてで、結婚式がもうすぐなんだけど。
こういうのって、ドラマや映画の中の話じゃなかったっけ?

嘘でしょ?
なんで私が? 
生存率?5年後?10年後?
一体何のはなし? 

11/01/2012

告知

10月29日
結果を聞くだけだし、と軽く考えてひとりで病院に行く。
前夜は多少不安になったけど、
検査結果が出るまでの待機時間が短いこともあってか、
そこまで緊張しなかった。

でも、予約の16時半を1時間過ぎても、なかなかお呼びが掛からない。
だんだん、悪い予感がしてくる。

だいたい16時半って最後の患者。
診察が押してたみたいだけど、待合室は私ひとりだけになった。
それは、例えば私が泣いてしまった場合、
誰にも見られないようにする病院側の配慮とか?
冷や汗が出てきて、体温が低下していくのが自分で分かった。
かなり緊張してる。

やっとお呼びが掛かると、先生は、
「今日はひとりで来たの」と。

ひとりで来たら、何かまずいことでもあるんだろうか。

先生は優しい笑顔で、
「結果は悪性だったけど、悪いガンではないわよ。」

緊張しすぎて、肝心なところを完全に聞き間違えた私は、
「え?ガンじゃなかった?良かったー本当に良かった。安心したー。」
と言った。

でもすぐに違和感に気付き、
「え?今、ガンって言いましたか

「そうよ。ガンだったの。私も驚いたけれど。」

一瞬何が起こったか分からなかった。
何ですか?今の。

でも、今度ははっきり「yes, it's a cancer.」と聞こえた。

これが俗に言う、告知という場面か。

先生はしきりに、このガンはガンの中でもタチが良いのよ、
と繰り返し言ってた気がする。
先生が絵を描いて、分かり易いように説明してくれる。
今後の治療方法の説明がなされ、うなずきながらそれを聞いた気がする。

メモを取ろうと、手元に用意してたノートには、
昨晩作った、良性だった場合の質問リストが並んでいた。

完全に思考回路が停止してた。

相方には先生から説明をしてくれるそうで、明日も病院に行くことになった。
告知された患者の混乱を予想して、そうしたガイドラインでもあるんだろう。
ありがたいことだ。

診察室を出て、ナースに「大丈夫ですか?」と声を掛けられ、
「全然大丈夫じゃない」と答えた。

迎えに来てくれた相方に電話で報告すると、絶句。
帰路の車内で私は号泣した。

私は乳ガンになった。
私のガンは、乳ガンの中でも稀な、「粘液ガン」というものらしい。

乳腺外科へ

しこりは良性(そう信じていた)でも、あるとやっぱり気になる。
時々触って、他にも異変がないか調べたりしてた。

なんだか楕円状に大きくなってる気がする。
それに、芯ができて全体的に膨れてる気がする。

これって成長してるんじゃないの?

専門医のいる乳腺外科に行こう。
相方が翌日すぐに予約を取ってくれた。
マレーシアで初めて乳腺外科が設置されたらしい総合病院。
やっぱり初めから専門医に診てもらうべきだったんだ。

1027
医者はインド系の綺麗な女医で、英語も癖がなく分かり易く話してくれた。
うなずきながら、私の話を聞いてくれた。

触診前に、「手が冷たいかもしれない、ごめんなさいね。」と、
手を温かい息で温めてから触診をしてくれた。
なんだか嬉しかった。冷たかったけど。

触診後すぐに超音波をして、少しの疑いも慎重に診たいからと、
局部麻酔によるcore biopsy(しこりの組織生体検査)を提案された。

勿論承諾し、すぐに処置が始まる。

注射針の太さと処置の音に驚かないでね、と予め説明を受け、
手際よく麻酔されてから、バシッと強烈な音でかなり驚いた。
麻酔で無痛なんだけど、鉄砲で射殺されたような気分。それを3回やった。

初診から良い医者で安心した。
病理検査の結果は明後日とのこと。

明後日とは早い。日本だと1-2週間待たされそうだな、と思った。

マレーシアもやるなー、とも思った。

10/31/2012

ヤブ医者

その日は土曜日で、担当医は昼までの診察。
診察時間終了ギリギリに到着した我々は、
診察室に入るなり、超早口な中国語でまくし立てられる。

患者は私で、私は中国語ができないんだけども、全くお構いなし。
だって、私を見てないんだもんね。相方に話しかけてる。

診察時間ギリギリで来た我々も悪いけど、
そんなに「早く終わらせて帰りたい」感丸出しの医者ってどうなんだろう。

患者の顔もろくすっぽ見ないで、雑で乱暴な触診は秒速で終了。

「こんなのこの歳ではよくあること。ガンじゃない。」

他にも色々しゃべってたけど、とにかく早く帰りたいらしく、全てが雑。
早すぎて相方も通訳が間に合わない。

もういい、帰る。
私もこんな医者に聞く話はない。

診察時間3分。
我々が診察室を後にした数分後、
医者はそそくさとクリニックを出て帰って行った。

患者は不安を抱えて病院に行くのに、何なんだこの扱いは?
猛烈に腹が立ち、相方に八つ当たり。
診察カードや領収書を破り捨てた。

やっぱり私は、この国が大嫌いだ

でも、帰路では、やっぱり良性だったんだと安心した。




…それが大きな間違いだった。
やっぱりあの医者は、ろくでもないヤブ医者だった。

異変

異変に気付いたのは、今年の7月末。
相方が見つけた。
今までに経験したことのない感触が手に触れた。

一気に血の気が引く。

左胸乳首の下あたりに、1cm程の球体状のしこり。
硬い。いや、硬くない。自分ではよく分からない。
相方曰く、
「台湾で流行ってるバブルティーのタピオカみたいな、グミグミした感触」

すぐにネット検索して調べた。

「胸のしこりの大半は良性」
「悪性は石のように硬く、良性は柔らかく押すと逃げる」
「悪性はしこりの境界が不明瞭、良性は明瞭」

あ、私たぶん良性っぽい。
押したら逃げるし、球体のしこりだってはっきり分かる。
でも、自己判断はよくない、ということで病院を調べる。

乳腺外科に行こうか、それとも街のクリニックに行こうか、悩んだ。
じゃあ、とりあえずクリニックに行って、その診断次第で次を考えよかな。